外国で暮らしていると、日本人の興味深い特徴が客観的に見えてくる。その一つの特徴は日本が島国であるということに起因しているのかもしれない。日本人は少数派になることを恐れる。とにかくみんなと同じようでありたいのだ。日本人と話していると「普通」とか、「常識」という言葉を連発する人がいる。この「普通」というのが日本人の多数派のことを指しているのである。ただ、この「普通」というのが日本でしか通用しないので、日本国外でこの言葉を使用すると全くもって意味を持たない言葉となるだろう。
この多数派でありたい、多数派に従いたいという習性は良くも悪くも日本社会に大きな影響を与えている。例えば、多数派が正しい場合、これは国としての向上を意味する。しかし、逆に多数派が間違っているときは国としてマイナスになってしまう。
この多数派こそ正しいという考えは、変革を大きく遅らせる。変化というのはいつも少数派から生まれるものだからである。多数派と少数派が逆転するまでには、何十年、何百年という月日が必要だろう。つまり変革に時間がかかるのだ。たとえそれが良い変革であっても、日本では他国の数倍、数十倍の時間がかかってしまうのだ。
この日本人の気質を表現した面白い話を聞いたことがある。タイタニックといえば、それは誰もが知っている豪華客船で、大事故を起こし、大勢の死者を出した残念な事件だ。全乗客の50%分の救命ボートしか実装していなかったため、文字通り乗客の半分が死ななければならなかった。この生死を分ける緊迫した状況で、どのように自分の命を犠牲にして他人に救命ボートの席を譲るよう説得するかという話である。説得する相手がアメリカ人である場合、「あなたは英雄です!」この一言で快く他人に席を譲り、自分の命を犠牲にするそうだ。では、日本人の場合はどうだろうか。「みんなそうしてますよ!」この言葉が一番日本人を説得するうえで効果的だそうだ。つまり、みんながするなら自分もするという日本人の気質をよく表している。逆に言えば、悪いことでもみんながしていればするし、良いことでもみんながしていなければしないのである。自分で判断できないのだ。
この文化は日本を一つの国としてまとめる上では大きな利点だろ。ただ、それには欠点や危険性も多大にあることを認識するべきだろう。多数派に従うことは必ずしもいつも正しいことではないということを忘れてはならないのだ。